しかもこの星、支配層チャトル人と被支配者層パッツ人に大別される差別社会でもありました。 こういった設定の数々は、当時のソ連体制を巧みに風刺&批判したものではありますが、こうしたモチーフは当時のソ連では表立って描くことはできなかったはず。 それなのにどうして国家の検閲を通過することが出来たのか? それが映画全体に流れる脱力テイストにあるといえるでしょう。 (同時に、資本主義社会を揶揄した姿勢も効力を得られたと想像できます) とにもかくにも挨拶代わりにポーズをとりながら「クー」と叫ぶ現地の人々から漂うヘンテコなユーモアが映画の全てを支配していると言っても過言ではないほどの脱力インパクト!? またこの星ではなぜかマッチが、あたかもダイヤモンドのごとく価値あるものとして取引されているのです。 かくして「マッチなんて地球に帰れば山ほどあるから」と、何とかふたりは地球への帰還を現地の人々に促していくのですが、これがまあ、会う人会う人「クー!」と唱えないといけないは、身分の上下を示すため鼻に輪っかをつけないといけないは、音楽に関する感性が完全にズレまくってるは……。 そんな緊張感のカケラもない呑気な雰囲気に、見る側もだんだん脳内に「クー!」の響きがこびりついて離れなくなっていき、そのうち思考回路までもマヒしていく!? (また音楽が秀逸なまでにオトボケ調なのです) 登場人物もそれぞれ個性的で、またネタバレになるので結末のことなど書くわけにもいきませんが、それでも最後まで見終えると思わず感動してしまうこと必至。 (最近この映画を初めて見て、日本でも数年前に空前の大ヒットを飛ばした前前前世なアニメーション映画を思い出した人も多いとか!?) --{新解釈で迫るアニメ映画版『クー!キン・ザ・ザ』}-- 新解釈で迫るアニメ映画版 『クー!キン・ザ・ザ』 『不思議惑星キン・ザ・ザ』は、1980年代後半より特集上映などで日本に紹介されて話題を集め、1991年に正式に劇場公開。 その後、幾度もリバイバルされ、そのつど映画ファンの脳内を「クー!」にしていきました。 そして2013年、ゲオルギー・ダネリヤ監督は何とこれを『クー!キン・ザ・ザ』としてアニメーション映画化! (タチアナ・イリーアと共同監督) しかし、これは単なるリメイクではなく、かなりの新解釈が施されています。 まずは、主人公ふたりの名前も含めてキャラクター設定が大きく変わっています。 惑星プリュクの人々の造型も異星人っぽい雰囲気が漂い、異世界へ紛れ込んだ感が強まっています。 上映時間も実写版は135分と当時のソ連映画に見合った悠々たる大河のごとき(というか、ひたすらのんびりした)流れだったのが、今回は97分とかなりのアップテンポ。 同じ場面設定でも展開が微妙に異なる箇所も多く、その意味では実写版を見ている人は「ここが違う」「あそこは同じ」みたいな感覚でも楽しめることでしょう。 また当時の実写版では予算的に難しかったのであろう、スペクタクル描写もいくつか散りばめられています。 しかし、あの「クー!」の脳内麻痺感覚は俄然健在!
あれは確か・・・ ・ 小学校三年時代か・・・ ・ 一人家で留守番しながら、たまたまやってた洋画を 観たのだが、あまりの恐ろしさにトラウマとなった一本。 あれは何だったんだろうかとズッと記憶を辿っていたのだが つい最近やっと、かの作品を掘り当てた。 それがロシア映画、邦題「妖婆 死棺の呪い」だったのだ! とにかくただ一つ憶えていたシーンが 結構綺麗な乙女が棺桶に乗って宙を舞い、牧師の張った結界に 体当たりするというシーン・・・ ・ もう怖くて怖くて、薄眼を開けて見ていた記憶が鮮明に蘇る そんな一編をDVDで入手し、いざ鑑賞。 確かにこれでした! 今観ても確かに怖い!よくこんなの8歳で観てたもんだ そして1960年代によくぞ作ったという素晴らしいSFX! もうホラーとスターウォーズのカンティーナ酒場を 融合したようなクライマックス怒涛の妖怪祭り いやー、お宝DVDだわ、これ! まずTVやネットでも観れなさそうだし、永久保存版決定! しかし、60年代当時に日本公開すらしていない作品を 即TVで流すとは・・・ ・ 改めて日本のTV番組は 制作するよりも、海外から買い付けた素材を流すという 手法が主流の時代だったんだろうな・・・ ・ まあ、そのおかげで本作に出会えたんだけど 聞いてみれば、カルト作品界ではまあまあの有名作だった ようで、"若い皆さんはどこで出会ったのだろう"という 疑問だけが残る・・・ ・ でも、あらゆる意味で素晴らしい作品です! 機会があれば是非ご覧になって頂きたい!! では
T. A. ホフマン(1776-1822)から強い影響を受けたとされる。 短編「ヴィー」はその頃の作品である。翻訳は、子供用ではあるが講談社青い鳥文庫「魔女のひつぎ」が入手しやすい。 ゴーゴリも、この魔女がいつ、どこで、どういう理由で魔女になったのか、そのいきさつも理由も説明していない。 古来、魔女は、悪魔と情を交わすことによって悪魔と契約した女であり、悪魔の手下だとされる。 「人間と悪魔の性的交渉」というオブセッション(妄執)は、中世の西欧社会に深い根をおろしていた。 教会側の性の抑圧と性に対する敵対的観点が、「悪をことごとく性と結びつけること」になった、 教会が「悪魔と魔女の性生活の実体にきわだった感心を示し」たのは、「まさに禁断の果実こそ周知のとおり最も甘美であるゆえ」だった(シュメルツァー57)とされる。 「悪魔と魔女の情交」など現代ではオカルト・ホラーの題材でしかなく、笑ってすます妄想だが、「魔女裁判」が行われた時代には命にかかわる重大事件であった。 『妖婆 死棺の呪い』の領主の令嬢が魔女になった理由を推測するならば、それは彼女の性的放縦さに原因があったのではないか? 映画もゴーゴリの原作も、領主の令嬢が美貌を武器に村の男を誘惑して漁っていたことを告げている―― 村のやり手の男が、お嬢様に目をつけられて夢中になったあげく、骨と皮になって死んだ逸話が披露される。 父親の領主は娘の行状に頭を悩まし、悪霊にたたられて苦しめられていた娘の悪魔祓いをホマーに依頼するわけだが、 悪霊とは娘の旺盛な性的欲望を意味するのではないだろうか?
最後に登場する 「まぶたを持ち上げてもらわないと目が見えない妖怪」ヴィイ は、水木しげる版では 一つ目の妖怪「土精」 になっています。 見た目は違うといえば違うんだけど、なんか素っ裸ででろーんとした雰囲気が、似てるといえば似てる。 まあ、妖怪的なものを再現すると似てくるものなのかもしれませんが。 ビジュアル面だけでなく、 物語から受ける印象も、映画と漫画でとてもよく似たもの になっています。 原作があるのだから当たり前…かもしれませんが、 映画を観れば普通にウクライナの伝承であると感じ、漫画を見れば日本の伝承であると感じる のがなんだか面白いなあと感じるんですね。 日本とウクライナで遠く離れていても、民話のありようは似てくる んですね。 ④民話や伝承はこうして生まれる?
映画ファンというものを長くやっていますと、時々感無量の事態に直面することがしばしあります。 5月14日より公開となったロシアのアニメーション映画『クー!キン・ザ・ザ』(13)もその一環で、何が感無量かといいますと、これは1986年のソ連時代に作られたSF映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』(こちらも同日よりリバイバル公開! )を、その監督であるゲオルギー・ダネリヤが自らアニメ化したものなのです。 そもそもこの『不思議惑星キン・ザ・ザ』、ロシア本国は元より世界中にファンの多い作品で日本でもカルト化されて久しいものがありますが、何がそんなに人気かといいますと、これがもうそれまでに見たことがないようなほのぼの&のんびりの脱力SFなのでした! 今回は双方を比較しながらご紹介していきましょう。 実はSF&ファンタジーの 宝庫だったソ連映画 今でこそハリウッド顔負けの多彩なジャンルの作品が量産されているロシア映画ですが、それ以前のソ連時代はトルストイなどロシア文豪の小説を原作とする文芸映画や、プロパガンダを目的とする戦争映画超大作(登場する兵器の大半が本物!)といったお堅い国家主義的イメージが常に付きまとっていました(しかも異様に上映時間が長い! )。 しかし、ソ連こそは隠れたSF&ファンタジー映画の宝庫でもあったのです。 映画史上初の本格SF映画と称される事も多い『アエリータ』(24)をはじめ『宇宙飛行』(36)『石の花』(46)『星々への道』(57)『火を噴く惑星』(62)『両棲人間』(62)『アンドロメダ星雲』(67)『妖婆 死棺の呪い』(67)『惑星ソラリス』(72)『イワン・ヴァシーリエヴィチ、転職する』(73)『宇宙の若者』(74)『ストーカー』(79)『オリオンの輪』(80)などなど……。 これらは社会主義を鼓舞したものから、暗に文明批判的な要素をSFファンタジーというジャンルの中に巧みに盛り込んだものまで、実にさまざまです。 こうした傾向の中で『不思議惑星キン・ザ・ザ』は後者に属した作品でした。 ……が、従来のソ連SFどころか他の国でもお目にかかったことのないような魅力に、世界中の映画ファンが驚かされたのでした。 それは何か? メチャクチャ脱力させられるのです! --{ヘンテコ脱力カルトSF『不思議惑星キン・ザ・ザ』}-- ヘンテコ脱力カルトSF 『不思議惑星キン・ザ・ザ』 ストーリーは、現代(1980年代)のモスクワに住む"おじさん"ことウラジーミル(スタニスラフ・リュブシン)が、異星人を名乗る裸足の男が手に持つ空間移動装置のスイッチをうっかり押してしまったことから、横にいた"バイオリン弾き"ことグルジア人学生ゲデバン(レヴァン・ガブリアゼ)ともども、キンザザ星雲の砂漠の惑星プリュクに飛ばされてしまいます。 この惑星に住む人々は地球人と同じ姿をしているものの(空気もあります)、テレパシーを使うことが出来ることから、話し言葉は「クー」と「キュー」のみ。 見た目は野蛮っぽいのですが、意外に高度なハイテク技術を持ち合わせており、その象徴のひとつとして釣鐘型の飛行船が登場します。 主人公ふたりの会話を聞いているうちにロシア語も難なくしゃべれるようになるという、高度な知能も備えている!
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